板橋の地名が史料に登場してくるのは、「平家物語」や「義経記」の中で、源頼朝や義経が「板橋」の地に陣を取ったことが記されています。今から800年以前には板橋の地名が使われていたようです。しかし地名発祥のゆらいについては、はっきりとした資料は無く、おそらく石神井川に掛けられた「板の橋」は当時としては珍しく、いつのしか地名となったと云う説があります。江戸時代になると、中山道の宿場となり、江戸四宿(新宿、品川、千住、板橋)の一つとして世に知られました。明治以降、町名として採用され、昭和7年、区誕生のとき区名となりました。
赤塚溜池公園周辺
赤塚溜池公園には樹齢30年〜40年の梅が約200本植栽されており、開花時の景観は見事です。また、周辺には郷土資料館、区立美術館、赤塚城址があり、ゆったりとくつろげます。
板橋
旧中山道が石神井川を渡る地点に掛けられた橋で、地名の由来にもなった橋です。
「義経記(ぎけいき)」などの文献にもその名が見られ、平安時代にはすでに架けられており、地名にもなっていたと考えられています。
いたばし花火大会
荒川の夏の風物詩。対岸の戸田市と合わせて1万発を超える花火が打ち上がり、都心では珍しく尺玉が100発以上も打ちあがります。打ち上げ場所から観客席が近いことから、おなかに響く尺玉の音も醍醐味の一つとなっています。

志村一里塚
江戸日本橋から数えて三番目の一里塚であり、栗の史跡に指定されています。徳川家康の時代に主要街道の整備が行われた際に築造され、主に里程の目安になったほか、旅人の休み場の役目に果たしていました。
石神井川の桜並木
花見になると、川の上流から下流まで合わせて1000本を超えるソメイヨシノ・ヤマザクラ・サトザクラが咲き誇り、区内を代表する桜の名所となっています。

松月院
赤塚城に居城した千葉自胤が開基と伝えられ、徳川家康より朱印地40石を寄進された格式ある寺院です。また、高島秋帆が徳丸ケ原で日本最初の洋式砲術訓練を行ったときの本陣でした。院内にある宝物館には、千葉氏寄進状・徳川朱印状など多数の由緒ある文化財が保存されています。
田遊び
水田耕作に関わる行事で、年の始めにあたってその年の五穀豊穣と子孫繁栄を祈願し神に奉納する行事で、国重要無形民俗文化財に指定されています。稲作の作業内容を唱える言葉と所作によって田の神にみせ、現在、徳丸北野神社は2月11日の夜、赤塚諏訪神社は2月13日の夜、それぞれ神社の境内で行われています。
高島平団地とけやき並木
昭和40年代に相次いでマンモス団地が建設され、この付近は急速に発展してきました。現在、街も30年の歳月を経て周囲の樹々と融合した落ち着いた独自の顔を持つようになってきました。特に団地内を通るけやき並木は、都立赤塚公園前から高島平駅前まで南北に600m程続き新緑や紅葉の時期には、道歩く人もその光景を見上げるほど見事な眺めです。
東京大仏
乗蓮寺は、昭和48年に板橋区仲宿から現在の赤塚に移転された寺院で、徳川家康から10石の朱印地を寄進された格式ある寺院です。また八代将軍吉宗のとき鷹狩の際の休憩所に指定されていた為、様々な文化財を所有しています。そして境内にある東京大仏は、東京大空襲、関東大震災などの悲惨な戦災・震災が起きないように願いを込めて、昭和52年に建立されました。高さ13メートルの青銅製で重さが22トンあり、新東京百景にも選ばれたほどです。

南蔵院のしだれ桜
南蔵院は、八代将軍吉宗のときに鷹狩りの際の休憩所となった寺院です。ここのしだれ桜は、境内の不動堂・庚申地蔵尊・地蔵堂を背景として花の季節には見事な眺めで、区内の桜の名所の一つとなっています。